わたしたちはなぜインド・南アジア世界に惹かれるのでしょうか?
灼熱の太陽、どこにいても感じられる人・人・人。
スパイスの効いた食事に涙し、髭もじゃの映画スターの踊りに酔いしれる。
暑苦しいくらいの人間関係と、物事がなかなか進まない古代的スピードにうんざりしながらも、彼の地の人々の明るさと優しさに最後は救われる。
日本と対照的な社会のようでいて、でも底では繋がっている。
あまりに広大で多様。
こんなインド・南アジア世界を読み解いていく作業を行なっています。
研究の起点は熱気と埃にまみれた現場(フィールド)にあります。現地の言葉を話し、同じものを手で食べ、圧倒的な人の波に揉まれる日々。
そこにあるのは、エキゾチックな非日常ではなく、私たちと同じ「食べて、寝て、愛して、暮らす」人間の切実な営みです。効率化や合理性が優先される現代社会で、私たちが忘れかけている「生活の熱量」や「生きる手触り」。泥臭いフィールドワークを通して彼らの日常に深く潜り込むことは、人間本来のあり方を、身体ごともう一度確かめる作業でもあります。
なぜ人はカリスマに魅了され、時に進んで自由を差し出してしまうのか。
南インドの王権やグル(宗教指導者)の研究は、決して遠い国の昔話ではありません。組織の中での同調圧力や、日常に潜む不可視な権力作用。信仰と政治が複雑に絡み合うインド社会を紐解くことは、現代を生きる私たちが無意識に抱える支配と被支配の構造や、何かを信じたいと願う心の在り処を問い直すことでもあります。人間が根源的に抱える孤独や、他者とつながりたいという渇望の正体に、歴史の厚みと共に迫ります。
猛暑の中でのエアコンの普及問題、ギグ・ワーカーの不安定な労働、伝統と革新の衝突。これらはテクノロジーや資本主義経済が衝突し起こる、現代にみられる「摩擦」です。
急速に変化するグローバルサウスの現場は、行き詰まりを見せる資本主義や気候変動の未来を映し出す最前線でもあります。遠い国の出来事としてではなく、同じ時代を生きる「隣人」としての切実な視点から、ステレオタイプなインド像を更新し、私たちがこれからどう生きていくのかという普遍的な問いの答えを共に探ります。